BRAND一覧


松野屋

平成の荒物屋、次の時代へ。
世界一のベストでもなく、
人が評価したグッドでもない、
好みに合ったナイスなものを。
それは作る人、使う人、
ちらにとってもちょうどいい、
生活感のある、ものづくり。

荒物はつづく

昭和20年。戦後の始まりとともに、東京日本橋に松野屋は創業した。

「街の荒物屋さんもホームセンターに取って代わり、せっかく今まであった荒物を扱う問屋がいなくなってしまっていて。本当にパイプが切れた状態だったから、自分がやらなきゃと思えたんです」。

平成の荒物屋となった松野屋のものづくりは、数多くの道具を作る職人らとともにこれからも続く。

好きな仕事を好きなだけ

朝8時。自宅から下町の町工場へ、いつもどおりに自転車で。近藤隆司さんと八代子さん夫婦は、戦後まもなく始まった先代のトタン製造を継ぎ、同じ場所で同じ仕事を続けてきた。

「終わったら終わったで、終わらなきゃ終わらないで、やれる数だけ。松野さんには悪いけど、飽きちゃったから半分だけでいいやって思っちゃう時もあるよね」(八代子さん)。

「大量でも少量でもない、中量生産。だからこそ毎日続けられて、続けた分だけ技術は上がって、買いやすい価格も維持できる。そこがすばらしいんだ」と松野さん。

一度付き合った相手とは、何十年でもとことん付き合い続ける。その思いに近藤さんは「できる限りはやるよ」と笑って応える。

市井の人と

「伝統を背負って他と競うのもすばらしいけど、近藤さんのような人たちはあんな技術があるのに、自分が世界一だなんて全然思ってないの。でも、あの製品を作れる人は世界にもう近藤さん夫婦しかいないわけです」。

体を悪くしたら休業、それでOKですと近藤さんはいった。事実、職人が引退したことで扱えなくなった商品は今までも数多くあったという。それは仕方のないこと、と松野さん。

「けれど少しでも長く続けていれば、定年を迎えた息子さんが地元に戻って跡を継いで、伝承された仕事もあるんです。社会を変えることはできないけど、一軒のお家に役立つことはできるから」。

おたくが毎月注文をくれるから、孫の結婚式に少しのお祝いを渡すことができましたと、ほうき作りを続けてきた栃木のおばあちゃんから届いたお礼の言葉を教えてくれた。

毎日どこかで誰かが作り続ける素朴な荒物は、暮らしを縁の下で支える生活用具になる。

nice things. 2019.7月号
『扉を開けたいお店』P88-93 掲載

Text_Seiji Suzuki, Photo_Yoko Tagawa (horizont)

全12件